全く視力がない全盲の人々に、視力を与える技術的アプローチとして長年研究されてきたのが、インプラント手術を用いた
人工視覚デバイス。これまで人工視覚といえば、眼球内部の網膜や視細胞、視神経に電極を取り付けるタイプのものがよく知られているが、最近米国で臨床試験が始まった人工視覚「Orion」は、カメラで撮影した映像を一気に「脳」に送り込む仕組みのようだ。この技術で、いったいどのような風景を見ることができるのだろうか?
「Orion」は盲人の暗闇にささやかな明かりを灯す。
By Graciela Gutierrez
ベイラー医科大学の一角にある暗い部屋。
そこで被験者はブラックアウトしたコンピューター画面を見ている。そして間隔を置いて画面上の異なる場所に表示される白い正方形を指さす。
彼らは、もう何年も前から完全に目が見えなくなっているにもかかわらず、ほとんどの実験でその正方形を正しく指し示すことに成功した。
「視覚皮質補綴物」は、視覚障害者に人工的な視覚をもたらす。
手術で脳に埋め込んだ 「Orion」 と呼ばれる視覚皮質の人工器官を用いることで、眼の障害により視力を失っていても「見る」ことができるという。
OrionはSecond Sight Medical Products(カリフォルニア州ロサンゼルス)とのコラボレーションの一環として、ベイラー大学において臨床試験が行われている。
10年以上にもわたって、同大学の神経外科学の教授を務めるダニエル・ヨソール博士は、神経科学者で脳神経外科学の助教授ウィリアム・ボスキング博士、および神経外科学の教授マイケル・ボーチャンプ博士とともに、視覚皮質補綴装置を使用した研究に取り組んできた。
簡単に言えば、Orionは、デバイスの一部であるカメラで捉えた視覚情報を、損傷により機能していない視神経をバイパスして直接脳に伝送しているのだ。
「私たちは長年、脳が視覚情報をどのようにコード化するかを研究してきました。視覚というと目を思い浮かべますが、処理のほとんどは脳で行われています。網膜に投射された光のインパルスは神経信号に変換され、視神経を通って脳の一部に伝達されます。」
、ベイラー聖路加医療センターの脳神経外科部長でもあるヨソル氏は語る。
「将来的には、脳が視覚情報をどのように処理しているかを解明し、視覚補綴装置の開発によって視覚障害者に、実用的な視力を回復させたいと考えています。」
・「再び見る」ための第一歩
カリフォルニア大学ロサンゼルス校では、セカンド・サイト社と共同で、米食品医薬品局(FDA)が承認した初の視覚皮質補綴物の臨床試験を行なっている。
視覚皮質補綴物のアイデアは何年も前から存在していたが、技術がようやく進歩し、この臨床試験が現実のものとなった。
Orionは、60個の電極を埋め込んだ脳インプラント装置で構成されており、脳の視覚部分に刺激パターンを送ることができる。
中途失明者の多くは、視覚を処理する脳に損傷を受けておらず、眼から情報が伝達されていないため、その部分は活用されていない。Orionは、メガネに取り付けたカメラを使って画像を撮影し、対応する視覚画像を感じ取れるように設計された刺激パターンとして脳に直接伝送する。
ヨソール氏によると、人間の脳には明確な視野マップがあるという。
視覚世界のすべての部分には、その空間的位置を表す脳内の対応する点がある。研究者たちの間では何年も前から、脳の特定の場所を刺激すると、特定の視覚スポットに光が発生することが知られていた。これは目が見える、見えないに関わらず発生する。
「理論的には、脳に何十万もの電極があれば、豊かな視覚イメージを作り出すことができます。点描を使用した絵画を想像してみてください。点描では、何千もの小さな点が集まって完全なイメージを作成します。」
と、Yoshor氏は言う。
「脳の後頭部にある何千もの点を刺激することで、同じことができるかもしれません。」
そのためのステップとして、まず各視覚スポットをマッピングする必要がある。これがベイラーの暗い部屋で行われていることだ。
盲目の被験者はすでに「Second Sight」を使っている。
・最初の被験者
若くして視力を失い、人生の大半を暗闇の中で過ごしてきたベンジャミン・スペンサー氏は、メガネを装着して窓や戸口に近づくと、それを判別できた。
10年近く目が見えない状態が続いているポール・フィリップ氏は、妻と夕方の散歩に行くときにメガネを装着すると、歩道と芝生が交わる場所がわかると話す。また彼は、自宅の白いソファがどこにあるかを知ることができるという。
「これは初期の実行可能性調査です。
初期臨床安全性とデバイス機能性に関するデバイス設計概念を評価しています。」
とボスキング氏。
「これまでのところ、結果は有望です。被験者は、特定の物体がどこに位置しているかを識別できたと述べていますが、現時点では、物体の形や輪郭がはっきり見えているわけではなく、オブジェクトの位置に対応する少数のライトポイントが分かるだけです。」
たとえば、物体が自分の視界にあることはわかっても、その物体がマグカップなのかボールなのかはわからない、とボスキング氏は言う。
「現在ベイラー大学の研究室で行われているのは、装置と脳の間の最適なインターフェースを改善することです」
とボスキング氏。
「これにより、参加者がフォームや形状を確認できるように、デバイスに変更を加えることができます。」
「私たちが達成しようとしている目標には、まだほど遠いのです」
とヨソル氏は言う。
「現在、われわれは「動的刺激」と呼ばれる技術を使用しています。この技術では、埋め込まれた電極のアレイを横切るパターンで脳を刺激します。脳は変化を検出するのが非常に得意なので時間をかけてパターンを変化させるとより豊かな視覚体験と視覚機能の有用な回復が得られます。光の塊だけでなく形の知覚、そして最終的には鮮明な画像が得られるでしょう。」
視覚皮質補綴装置は、生まれつき視力をもっていて、その後視力を失った人にのみ有用という。先天的に盲目の人は、視覚を支える脳の部分が十分に発達しておらず、視覚情報を効果的に脳に伝えることができない。したがって、視覚皮質補綴装置は、中途失明者の使用を前提に設計されている。
ヨソル氏は言う。
「中途失明者の場合、脳の視覚機能はまだ無傷で機能しています。しかし目からは、視覚を司るニューロンを活性化させるための入力は得られません。現在はこれらのニューロンを直接活性化できる可能性が出てきました。
今、神経科学と神経技術の分野はエキサイティングな時代を迎えています。私が生きているうちに、目の不自由な人が機能的な視力を回復できるのではないかと感じています」
スペンサー氏もフィリップ氏も、この研究に参加したことを「エキサイティング」と表現している。
被験者の一人、フィリップ氏は、こう付け加えた。、
「たとえ今は、それがわずかな光の点だけであっても、
このめで何かを見られるのは、本当に素晴らしいことです」