オーギュスト・ロダン「花子のマスク」画像引用元
2022年6月11日から9月4日まで、神奈川県立近代美術館・鎌倉別館において開催された特別展「これってさわれるのかな?―彫刻に触れる展覧会」へ行ってきました。
これは、同館の収蔵品から選ばれた24点の作品に実際に触れて鑑賞することができるというコンセプトの展覧会です。展示されている作品は全てレプリカではなくオリジナル。つまり作者が意図したそのままの状態の作品に触れられるのです。教科書に乗っているような有名な作品こそありませんが、これだけの数のアートに(文字通り)触れられる、めったにない貴重な機会ではないかと思います。
鑑賞にあたっては、受付で配布される使い捨ての手袋(ゴムかシリコン?)の装着が求められます。これは作品の保護に加えて感染症対策の意味もあるようです。最初かなりの密着度にややひるみましたがすぐに違和感なく触察することができました。
さて視覚だけによる鑑賞であれば、24という作品数でもさほど時間はかからないのではと思いますでしょ。しかし全盲の私が触察するとなると話は違ってきます。
一般的に視覚障害者が触察によって作品を理解するためには1作品あたり15から20分程度の時間が必要と言われています。このセオリーに従うとなると今回の展覧会をコンプリートするためには8時間ほど掛かる計算となります。
これは齢50をすぎた私には、ダメージが大きい。なので今回は作品の詳細な解釈にはあまり入り込まず、触察の経験を純粋に楽しむという方針で臨むことにしました。それでも2時間ほど触察し続けてグッタリしましたが。
展示は基本的に古い作品から新しい作品へ流れていく構成になっています。人物を写実的に表現したブロンズ像から始まり、次第に動きのあるポーズをとっている作品、さらにはシュールな造形の彫刻、後半では幾何学的な形や様々な素材が剥き出しになった現代アート的な抽象作品へ行き着きます(ここでは個別の作品については触れませんが公式Webで出展作品のリストが公開されていますのでそちらを参照してください)。
なお鑑賞中は、同行のガイドさんに対しあえて言葉による説明は私が求めるまでは行わないようお願いしたため、触れるまではどのような素材、形状を持った作品であるのかわからない(ヤミナベルール)という、謎のゲーム性も加えられました。
正直なところ、最初のうちは似たような人物のブロンズ像が続くため、やや短調さを感じていたのですが、徐々にモチーフや素材に変化が現れることで面白くなってきました。これは鑑賞を続けていく中で触察の感覚が掴めてきた、という要因もあるのかもしれません。
前半はほとんどがブロンズ製でしたが年代が新しくなるにつれ金属や大理石、木材など多様な素材が用いられるようになり、触覚から手触りや温度の違いが伝わってきます。
作品の形もリアルな人体から少しずつデフォルメが進み、最終的には何を表しているのかよくわからないけど触ると気持ちがいいみたいな境地へ到達。視覚を使わずとも彫刻のダイナミックな変化の一端を堪能できた、ような気がします。
また作品のほとんどは立体的な彫刻でしたが、平面的なモチーフを浮き彫りにした、いわゆるレリーフ作品もいくつか展示されていました。立体とレリーフを同じタイミングで鑑賞できるというのも珍しいように思うのですが、記憶を辿って見るとレリーフ作品の印象はほとんど残っていないのです。
触察で美術作品を理解する場合、構造的に破綻の少ない立体に比べると、様々な視覚的技法が駆使されている平面作品の難易度は段違いに高いとも言われています。改めて触図による触知の難しさを認識できたのも大きな学びの一つでした。
あとこれは彫刻ではないのですが「サウンド・チューブ」(吉村弘・作)という、水の音を楽しむオブジェの展示には心を掴まれました。筒状の本体を傾けると中に入っている水が動きさまざまな音を奏でるというもので、なぜか取り憑かれたように遊んでしまいました。調べたらミュージアムショップでレプリカが販売されているらしいのですが現在は品切れ中のようです。
今回はかなり急ぎ足での鑑賞であったため、作品と作者、タイトルがいまひとつ結びついてはいないのですが、それでもいくつかの作品は触覚を通じ、私の記憶に強烈な印象を残しています。見えていた頃を含め、ここまで大量の彫刻を触りまくったのも初めてのことでしたし、なんとなく触知スキルもレベルアップしたような気がします。
このエントリーを書いている段階で会期も残り少なくなっているのですが、触れるアート鑑賞に興味があるのであればかなり楽しめる展覧会であると思いました。すぐ近くには鶴岡八幡もあり鎌倉観光とセットで訪問するのも楽しいのではないでしょうか。予約は不要ですが特に視覚障害者を対象にした展覧会ではないため、サポートが必要な場合は事前の問い合わせが安心かもしれません。
原則、作品を損傷することなく後世に伝えることが求められる美術館としては、不特定多数の訪問者が作品に触れるという展覧会の開催は大きな決断であったことは想像に難くありません。しかし私のような視覚障害者にとっては触れなければ不可能だった経験が得られたという意味で、貴重な展覧会であったと思います。また視覚障害の有無に関係なく、アートに触れるという行為には視覚だけでは感じられない作者の意志のようなものを受け取れるような気もしました。
今後も作品に触れられる機会が増えて欲しいと切望する一方で、触れる立場としても触察の技術とマナーの啓発が求められてくるのではないかとも思ったのでした。
触れる彫刻展としては他にも、東京・高田馬場の「ふれる博物館」では第10回企画展「手でみる彫刻」が2022年9月17日まで開催されています(予約制)。他にも常設の施設もいくつかあります。機会があれば彫刻に触れに出かけるのも面白いのではないでしょうか。
ここからは余計なお話、中途全盲の私の記憶について。
このエントリーを書くにあたり、展覧会の記憶をたぐって見たのですが、覚えている作品はまず視覚的なイメージとしてき置くから引き出され、その後に手触りなどの触覚的な記憶が追いかけてくることに気がついたのです。
作品に限らず、美術館の内装や途中で立ち寄ったお店の様子も、まずイメージとして脳内に立ち上がります。一度もこの目で見たことはないのにもかかわらず、です。
この脳内のイメージは、これまでの視覚的な記憶から生成されたパッチワークのようなものと考えられ、実際の風景とは完全にかけ離れているはず。ですが視力を失っても視覚的な情報処理が継続されているというのは自分のことながら興味深い現象です。
これは視力を失った年齢、つまり視覚的な記憶の量と関係があるのですよと何かで読んだ覚えがあります。そう考えてみると、視覚障害者の美術観賞も個人の経験と記憶によってアプローチが変わってくるのかもしれません。ユニバーサル・ミュージアムの奥の深さを改めて感じた気づきでありました。おしまい。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。