少し前になるが、このようなニュース記事を読んだ。
これはインド、ケララ州Kottoorにあるthe Elephant Rehabilitation Centreで開催された象のイベントに盲学校から23人の生徒が招待され、象の模型や象の皮に触れたり雑煮関する様々なレクチャーを受けた、という、実にほのぼのとしたトピックスである。
そう、インドといえば象である。
インドを訪問したことはないが一昔前の日本の野良犬よろしく、街中に野良象がウロウロしている、というイメージがあるが多分それは間違ってるはず。
調べてみると観光地の象がひどい目に遭っていたり、野生の象が人を襲うなんてニュースがあったりして少しションボリしてしまった。でもヒンドゥー教にはガネーシャという象の神様もいるし、インドの人々にとって象は文化に深く根ざしている「特別な動物」であることは、今も昔も変わりはないだろう。
ただ生まれつき目が見えない者にとって、象がどのような姿をしているのかを理解するのはとっても難しい。
「大きい、四つ足の動物」
「鼻が長い」
「牙がある」
「おっきい耳」
「つぶらなお目目」
そう言葉で説明されてもピンとこない。
小さな動物であれば手で触れて全体の姿を確かめることはできるが、象ともなると子供の象でも結構でかい。下手すると踏まれてしまうかもしれない。
となると、先述の記事のようなレクチャーが重要になってくるのだろう。
さて「インド人と象との関わり」について、あれこれ調べていると、とあるインド発祥の寓話が出てきた。
要約すると「盲人は象の一部分しか触れることができず、触れた場所によって象を違った言葉で表現する。展示て、異なった考えを持った同志、お互いの意見を尊重するべき。」といった感じ。この寓話は微妙に姿を変えつつ、世界中に広まっているようだ。
ここで一つわかることは、古今東西の人々に「目が見えないと象の全体像を掴むのは大変」という共通の認識があるということだろう。
Wikiを読んでみると、地域によって、この寓話の意味というか教訓のニュアンスが微妙に異なっているのも興味深い。これはその地域での「盲人観」の現れなのだろうか。結構、当事者としてなんだそれと思ってしまうものもある。
そういえば各地に古くから伝わる寓話や諺、格言には結構「盲人」が出てくる。今はもう使われなくなったものも多いが、それを含め世間一般が盲人をどのように見ていたのかを表す歴史的な資料として調べてみるのも面白いかもしれない。というかもうすでに研究がありそう。今度探してみようと思ったのだった。
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